コロナ禍の京大生の記録 ~鴨川デルタ座談会を通じて~

 

  1. はじめに

 2019年末頃に発生した新型コロナウイルス感染症は、現在でも国内外で猛威を振るっている。そのような中で、大学1回生は、課外活動も停止し、友達を作りづらいままオンライン授業を受けるという、いわば「特殊」な経験をすることとなった。そのような大学1回生の姿を記録するべく、また学部を跨いだ交流に少しでも貢献すべく、我々は2020年9月22日の夜に鴨川デルタで座談会を行った。

 

  1. 座談会の概要

 座談会は、できるだけ様々な意見を聴くため、京都大学の各学部から1名以上を集めることを目標とした。主にTwitterを利用して参加者を募った。実際には事情もあり、文学部から2名、法学部・経済学部・教育学部・総合人間学部・理学部・薬学部から各1名の計8名によって行われた。なお、座談会参加者がいなかった学部(工学部・農学部・医学部)は、後日参加者を募り、オンラインで意見を聴いた。

参加者には、

  • 受験期からこれまでの間、どのように過ごしてきたか、何を感じてきたか
  • オンライン授業下での各学部の様子
  • 今、社会情勢や大学に関して、何を感じ、考えているか

の3点を中心としつつも、自由に思いを述べてもらった。

 なお、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、参加者の常時マスク着用、社会的距離の確保をはじめとした感染対策を徹底した上で開催した。

 

  1. 参加者の話

 以下では座談会で参加者に語ってもらった内容を掲載するが、個人情報の保護の観点から、参加者のいずれの話であるかを明記しない。書かれた情報から学部や個人名を詮索するような、不適切な利用は厳に慎んでほしい。

 

  • 1人目の話

 特色入試の合格者で、入試の時期(編注:2019年11月~12月)には全く影響を受けなかった。1月のセンター試験の頃から、雲行きが怪しくなっていると感じていた。出身が遠隔地で、早く合格が決まったこともあり京都の下宿は決めていたが、大学からの発表もあり、京都に来られない状態が続いていた。ずっと実家で授業を受けており、京都に来ることもできない、友達もできないという状態で、悶々と過ごしていた。京大での生活に憧れていて、いろいろな人と関わりたいと思っていただけあって、それができないことにストレスを感じていた。

 学部では4月の時点で有志でオンラインで顔合わせ会が企画され、顔見知りを多く作ることができ、とてもありがたかった。学部内には京都にいる人も遠方の実家にいる人もいたが、京都にいる人達は2人3人という小規模で実際に会っていたそうだが、SNSには上げないようにしていたという。

 京大では面白い人と会って対話をしたり影響を受けたりすることで成長したいと思っていたし、それを楽しみにしていたが、今の生活ではその「京大の良さ」がない。ネット上、SNS上での出会いしかなく不満もあるが、このような状況下では何か自分で生み出していくしかないのではないか、とも思っている。

 

  • 2人目の話

 3月末に引っ越してきて、それからずっと京都にいた。一人で生活するのに慣れておらず、4月には授業が無かったため「授業が無いもの」としてエネルギーを使っていて、そこから授業が入ってくると生活が乱れてしまった。オンラインに適応している人、むしろオンラインの方が良いと言っている人もいる中で、一概に対面授業を増やすべきという意見には懐疑的だった。SNS上では対面の仲とSNSの仲で余り差を感じていないという人もいて、会えないのは寂しいというのはあるが、これはこれで良いのかなと感じていた。皆に対面を強制させるというのも、人付き合いが苦手な人にはちょっと苦痛なのではないか。オンライン授業でもメリットが無いということはないので、対面化を急ぐだけというのも良くない点があるように感じる。

 学部では教授が気を利かせてくださって、毎週顔合わせをしていた。そこから実際に会って遊びに行くという人もいたが、その波に乗り遅れてしまった。そのような点では対面の方が乗り遅れずに済むだろうが、それは致し方ないと思う。

 

  • 3人目の話

 受験期は、そもそもコロナウイルスが日本に入ってくるとは思っていなかった。二次試験の頃は元々インフルエンザの流行する時期ということで、浪人で後がないこともあり、インフルエンザにかかると人生が終わると思って予防していた。かなり気を遣っていたが、潜伏期間があるので、受験の時は「感染しても受験までに症状が出なければいい」という気持ちでいた。3月中は対面新歓も行われていて行きたいと思っていたが、京都入りが間に合わず行けなかった。オンライン授業で課外活動も停止になり、部やサークルに入る機会を逃してしまい、それ以降は授業を受けるだけということでストレスもあった。オンライン授業になったことで授業内容が変更になって、シラバスが全く当てにならない点は困った。

 学部ではオンライン茶話会が前期に一度行われただけだった。一度大規模なエンカ(編注:ここではSNSで繋がった友人と対面で会うこと)が行われて、「みんな来て!」とむやみに人数を増やそうとしているのはこのご時世何をやっているんだ、と非難されていた。今はもう学生も限界だから、それほど非難を受けないと思う。良いのか悪いのかは何とも言えない。しかしオンラインで孤立している人も多く、何かやるというと人が集まりやすくなっている。

 「オンライン授業の方が楽だからオンライン授業のほうがいい」というのは個人的に認められないと思っている。元々大学を受験したときは、ほとんどの大学で対面授業が前提になっていた。そんなにオンライン授業の方がいいならそもそもオンラインで授業をする大学に行けばいいだろう、と思ってしまう。

 10月1日から大学の活動制限レベルが下がるということで、それ自体はいいことだと思うが、大学の対応が遅いと感じる。前期も対面かオンライン化の判断が遅く、後期もなかなか発表されなかった。

 

  • 4人目の話

 受験期終盤から新型ウイルスが…とニュースで言われて、日本にも入ってきたといわれていたが、地方出身ということで自分も周りも危機感はあまりなかった。入試の時は周りを見るとマスクをしている人もしていない人もいたので、これまでの模試と同じように、普段通りやろうということで試験時間中はマスクを外していた。まだ、そういう判断ができるくらいの状況だった。3月末に京都に来たが、来た時点では対面授業を一部やるという発表だったため、対面授業を受けるために引っ越した。その数日後に一ヶ月休講してオンライン授業をしますという発表が出されて、振り回された形になってしまった。

 学部では交流会もあったが、元々一度も話したことがない人たちで、少し話しただけ、しかも実家にいたので会えるのは早くて3ヶ月後だと思うと、これで友達ができるのかなというのは感じていた。ただ、京都にいる人同士がどうだったのかはわからない。対面授業があれば皆京都に来るので、人間関係的には日常が戻るのかな、とは感じていた。

 夏休みは京都にいたが、途中で一度帰省した。その時に高校の友達と会おうとしたら、その友達の親が役所で働いている人で、家族が県外から来て2週間経っていない人と会ったら出勤停止になるということで、会うことができなかった。世間では経済活動が再開されて「GoToキャンペーン」も行われているが、その中で緊急事態宣言の頃と変わらない生活を強いられている人もいるということは伝えておきたい。

 

  • 小休憩

 全体の半分が終わったところで、小休憩を挟んだ。この中でも様々な意見が飛び交った。

  • 大学をオンライン化するという構想自体はコロナ禍以前から存在していた。地理的な教育格差をなくすには画期的な手段だと思う。コロナ禍に際して文部科学省がオンライン授業の規定を緩めたというのは、大学のオンライン化への大きな道になったと思う。オンライン授業を実際にやってみた経験を、今後の判断に役立ててほしい。
  • 京都大学に限らず、大学はアドミッションポリシーなどで前提にした様々な機会を確保する義務がある。オンラインだから仕方ないで片づけるのではなく、何かできることを最大限やってほしい。
  • オンライン授業がいいならオンライン授業の大学に行けばいいというのは過激なのではないか。楽だからという理由は良くないが、オンライン授業をやってみて、案外できたということで続けるなら問題ないと思う。日本のシステムは新しいものに弱いので、対応を進めれば良いものになるだろう。
  • 山極さん(編注:山極壽一氏。前京都大学総長)は人類学者ということもあり、対面のコミュニケーションの重要性について述べられていた。今後の方針は、よく考えなくてはいけない問題だ。課題に苦しめられるというのは良い状態ではない。
  • 報道される観光地の様子を見ると、日常が戻ってきたかのように観光客がいる。そのような中、オンライン授業を強いられている大学生や、先の話にあったような県外の人と会えないというような人がいる。大学生と役所の方や医療従事者を同列に扱うのは良くないかもしれないが、自分がまだ自粛を迫られている中で人々が遊んでいるのを見ると不満が溜まる。
  • Twitterで友人を作ることはできるが、会ったことがない人しかおらず、関心が持てないという人もいる。今すぐ全て対面授業にするのは不可能だが、オンライン授業の弊害には対策する必要がある。

 

  • 5人目の話

 今年は京大入試の数学が難化したこともあり、後期で出願していた北海道大学に合格しようと真剣になっていた。しかし3月の上旬にメールで、後期入試の中止が知らされ、センター試験の成績のみで判定するということで、あとは待つだけになったことに不安を感じた。3月の末に京都に来て、サークルの新歓に行く予定も立てていたが、緊急事態宣言が出されたこともあって全部中止になってしまった。オンラインの新歓にも参加したが、説明会といった感じであまり楽しめなかった。一番不安だったのは履修登録で、一度も授業を受けないまま登録をしないといけなかった。(編注:例年ならば、第1回授業を受講してから履修登録期間になる)右も左も分からないまま登録期限が迫ってくるという状態になっていたが、Twitterを利用して情報を集めたり、学部の先輩がLINEを利用して質問ができる環境を作ってくださったりしたことで、よく分からない部分はありながらもなんとか登録できた。

 学部ではオンラインで顔合わせは行われた。その他にも何度か少人数で対面で会うなどしており、友達ができた。同じ高校の友人も多くいたため、友達に困るということはなかった。しかし、授業では他学部向けの講義を履修したところ、オンラインでは授業後に友達と話し合って理解を深めるということができず、画面に向かって先生が話すのを聞くだけになってしまい、最終的に単位を落としてしまった。

 前期の途中、6月頃に気が滅入ってしまったため一旦実家に帰った。そこでは嫌でも話す人がいる状況で、人と話すことの大切さに気が付いた。

 現在ではマスクをするのが当然になっているが、医学的な対応が道徳的なものになり、マスクをしない人は常識が無い、というような社会になってしまうのが嫌。実際にマスクをせずに大声で話している人を見るとちょっと嫌だなと感じてしまうが、この先一生そのような感覚を持ってしまうのは嫌。

 

  • 6人目の話

 4月に京都に来るというのは決めており、親もそれほど警戒しているというわけではなかったので予定通り京都に来た。オンラインの茶話会はあったが、参加するよう言われた一度だけしか参加しなかった。例えばオンライン飲み会のようなものも、なんとなく慰めをしているだけだと思っていた。逆に、授業では英語の先生が面白い方で、その反応や感想でSNSが盛り上がり、クラスの結束が生まれたように思う。

 学部は元々学年を超えた繋がりが大きい学部だったが、定期試験がレポートになったことで先輩も書き方が分からず、レポートの講評でレポートの書き方を教えられるような状況だった。1ヶ月休講になった影響で専門科目の授業は90分に収まらないものもあり、まだ専門分野に慣れていないという状態では負担が大きかった。

 大学生が非難されるように、誰かを槍玉に挙げる社会が嫌。学生を非難しているのは、学生をただ非難したいだけに思える。またそのような非難の中で、部活動の最後の大会が中止になったり、受験勉強に影響が出ている高校3年生のように、影で苦しんでいる人がいるというのはなかなか伝わらないでいる。誰もが納得する政策は無くても、見殺しにするのではなく、少しでも救済するための方針を考えていく必要があると思う。

 

  • 7人目の話

 受験の頃はそれほど意識した対策は取っていなかった。合格発表がオンラインになっても「まあそんなもんか」という気持ちでいた。新歓や新入生交流会が無くなったのは、元々そういった集まりを億劫に感じていたため、残念ではありながらもどこかで「良かった」と思っていた。授業が始まって、課題が多いのはきついと感じていた。授業がスライドだけだったりすると、やりたかった勉強以外にはやる気が出ないでいた。友達に相談するというのも全くできず、だからといって先生に相談するのもなかなかできなかった。課題が多いというのは1回生で普段の状況が分からないし、履修している授業の違いもあるので何とも言えないが、多いと言っている人も、楽だと言っている人もいた。元々実家暮らしということで、家から出ることはほとんどなくなっていた。高校の頃からあまり友達と遊ぶタイプではなかったため何とかなると思っていたが、全く付き合いが無いことには寂しさを感じた。

自主ゼミ(編注:学生が自主的に集まり、学習内容などに関して活発な議論をするゼミ)にも参加したが、オンライン形式では授業と同じような一方通行の議論になりがちだった。

 Twitterでは大学に行く必要はないとか、オンライン授業の方がいいという意見もある。大学に行けないことを辛いと思う人もいる中で、行かなくていいだろうとか、オンラインだから課題が多いわけじゃないと意見を言ってくる人もいて、辛いと感じていた。2回生以上は辛そうな様子は見られなかったが、既に人間関係ができているためだろうか。これまで何とかなると思って過ごしてきたが、主体的に何かしていかないといけない、与えられたリソースはどんどん使っていかなければいけないのかな、とも思う。

 

  • 8人目の話

 入試までは高校に通うことができていたが、卒業式の後から休校になった。入試の際はアルコールで消毒をしていた。緊急事態宣言が出された時に家族が迎えに来て、「帰るぞ」と言われ、第一波が収まるまで実家にいた。実家は田舎で、人と会うなんてもってのほかという雰囲気だった。実家ではすることがなく、授業も最初は面白かったが、だんだんつまらなく感じられてきた。そこで第一波が収まった時に京都に戻ってきた。

 学部の中ではコミュニティーがあまりなく、学部全体としての交流はなかった。授業はオンラインだったが、先生がキャンパスツアーのようなものを企画してくれたので、対面で話す機会があった。そこで先生と対話をすることで、大学生として授業に出る意義はこういうところにあるのだ、と感じた。キャンパスを使って対話をするということは、オンラインで授業を受けて課題を提出すること以上の価値があるものだと思った。また、京大は伝統的に学生が団結することでピンチに立ち向かってきて、それで「自由の学風」を守ってきたから、オンライン授業によってその団結が次の世代に継承できなくなるのが怖い。

 

  1. 追加調査

 座談会で意見を聴くことができなかった3学部の学生にも、後期授業の開始後にSNSなどを通じて計4人に意見や情報をいただいた。

 

  • 1人目の話

 合格発表がオンラインで行われ、入学式もなくなったためとりあえず引越しの準備を進めていた。4月でも先生によっては予定より早く授業が始まるものもあり、授業予定の把握が大変だった。対面授業や試験がなくなり、課題やレポートが多くなったことで周りの取り組み具合を知ることができなかったために大変な思いをしたこともあった。前期集中講義の期間などに同回生と会うことができたが、その時でも直接会ったことがあるのは10人にも満たない状況だった。後期には学部主催の交流会があり、全員ではないものの同学部の人と顔を合わせることができた。現在ではオンライン授業に慣れ、朝早く起きなくてよいことなどのメリットも見つけ出している。しかし、同学部の人さえもよく知らないというのは欠点に感じる。

 学部ではグループLINEで課題のリマインドをしてくれたり、授業内容をまとめてくれたりしたため授業にとても役に立った。後期授業では、前期のように課題に飲み込まれないか少し心配に思っている。

 

  • 2人目の話

 元々大人数より一人が好きで、「こんな変人でも受け入れてくれそう」と思って京大に入ったくらいだったので、京都に引っ越してすぐに地元に戻ったが、全く苦には思わなかった。実家での生活は今まで通りで新鮮味は無かったものの、嫌になるというものではなかった。ただ、大学の課題が多くてそれをこなすのが大変だった。

そのような中で、周りへの不信感も感じていた。こんな状況の中でなぜ遊びに行くのか、少しくらい誰かと会わなくたって平気だろ、と思っていた。世間の「自粛疲れ」を全く理解できないでいた。

6月末からは京都に戻り一人暮らしを始めた。一人が好きということもあり、一人暮らしは快適だった。大量の課題と受からないバイトには手を焼いていたが、ほぼストレスなく過ごしていた。世間の自粛ムードが弱まってきても人とは会っていなかったが、自分のコロナウイルスへの意識も低下した。夏休みに課題から解放されたので、何度も一人旅に出かけた。状況をなるべくポジティブにとらえ、一人の時間を大切にしようと思っていた。

 学部ではSNSを見る限り、よく人と会って遊びや食事に出かける人と、地元でのんびり過ごす人に分かれているように感じる。

自分は現在の状況を苦には思っていないが、コロナ禍がきっかけで自分の性格を見つめ直すようになった。自粛生活のダメージは無かったが、友達がいなくても平気という自分の異常さに気が付き、人間不信に近い状態であったことがショックだった。また、この状況を経て、自分の都合しか考えない大人への不信感が増した。オンライン授業化には不満はないが、それに伴う授業の質の低下、待遇の酷さには不満しかない。

 大学の意味を皆が考え直すべきだと思う。ひたすら「対面」「活動再開」を訴える学生には、大学生活は1通りではないということを伝えたい。大学には、プライドや世間の目より学生の学びや研究を重視するようになってほしいと思う。世間も批判するのではなく、協力してほしい。

 

  • 3人目の話

 受験終了からはずっと自分のやりたい勉強に取り組んでいた。適度に自炊をしながら気ままに楽しい下宿生活を送っていた。オンライン授業が始まってすぐは直接授業を受けられないことや課題が多いことを不満に感じていたが、慣れてくるにつれて勉強そのものに時間を取りやすい、オンデマンドなら何度でも見返すことができる、調べながら授業をうけられるということで、オンライン授業の方が良いと考えるようになった。

 クラス会のようなものはほとんど無かったが、Twitterなどで呼びかけて集まることはあり、それなりに友達関係を築くことができた。個性的な友達が多く楽しい。

 学ぶ内容がオンラインに適していることもあり、現在では対面授業よりもオンライン授業の方が良いと考えている。教授に直接質問できないというデメリットはあるが、自分で勉強する時間を取れて、自分で色々なことを学べるのはすごく楽しい。

 

  • 4人目の話

 3月末に京都に来てからずっと下宿で過ごしている。前期は対面で会ったのは数人だけだった。4月は何もない期間だったが、その期間で自炊に慣れることができた。サークルのオンライン新歓に参加して入りたいサークルは見つかったが、入るのは対面で見てからにしたいと思っていたら結局今まで引き延ばして来てしまった。自分は一人でいてもやることを見つけられるし、趣味も多い方だが、一人で京都に来た人や、実家から授業を受けている人にはだいぶ厳しい時間だったと思う。

 学部にはTwitterをやっている人が多く、交流ができて楽しい。後期からは隔週で対面授業が行われる科目ができ、ようやく動き始めたように感じる。他学部に比べて牧歌的な雰囲気があり、とても居心地がいいと思っている。

 前期の間はほぼ人に会っていなかったため、人と会うと疲れてしまったり気を遣ってしまったりすることもあるが、今は徐々に皆の本性が分かってきて面白い。Twitterをやっていない人の中にも面白い人はいるはずなので、積極的に交友関係を広げていきたい。

 新入生は、サークルに入らずとも居場所を作れた人が多いという印象を受ける。サークルは対面新歓の後で決めたいという人も多く、3回生からは実験などで忙しくなることもありサークルは1・2回生が主力となるものが多いため、2回生になってからサークルに入ろうとする人が少なくなり、サークル文化の衰退にも繋がってしまうのではないかと危惧している。

 授業については、オンラインの方が楽だと思うなら通信制の大学が向いているのではないかという気持ち。また、楽に単位を取ろうとするより、自分の興味で科目を決めた方が楽しく勉強できると思う。

 

  1. まとめ

 以上が座談会で聞かれた話、および追加調査で聞かれた意見である。座談会の参加者の意見は多種多様なものであったが、終了後に多くの参加者から、このような座談会が企画され、学生が意見を交わしあっているのを見て「なんだ、いつも通りの対話ができているじゃないか」と思われたくない、という声が多く聞かれた。大学生活では授業以外にも多くの学びの機会が存在しており、その中には代替手段も用意できず、休止が続いているものもある。座談会に参加した8名、その後意見を寄せてくれた4名の他にも、様々な意見を持った学生がいることは紛れもない事実である。未来を担う世代が大学でより良い学びが得られるよう、今後の進展を期待するほかない。