新年京大イブ祭を振り返って

 

「新年京大イブ祭」について

2020年12月30日20時~22時のあいだYouTube上で京大生数名をゲストに招いて生配信を行った。前半1時間は1回生のための「祭り」の場として1回生ツイッタラーを2名招いてトークテーマに基づいた雑談を配信した。後半1時間は「語り」の場として、1回生ツイッタラー3名と上回生ツイッタラー3名をいて3つの議題について簡単な議論を配信した。番組での発言はTwitter上でもハッシュタグをつけて流し、Twitter上での意見表明を促した。配信の同時最多接続は58、アーカイブ含めた総再生数は810回となった(2021/01/17 15:40時点)。運営体制としては、1回生をつなげる会と有志および協力者によって構成される運営委員会をおいた。企画者はアストナージさん。

 

運営上の反省

企画

・前半「祭り」パートを祭りとして作ることができなかった。「語り」メインで場を作ってしまったために準備や人員が間に合わなかったこともある。しかしこうしたイベントに特定の思想や企画のイメージを持たれてしまい、勧誘がうまくいかないというのもあった。京大生の特質として「逆張り」ツイッタラーの特質として「傍観」もしくは「冷笑」といった態度を想定し、こちらがそれを過度に意識して勧誘がうまくいかなかったこともあった。オフラインの人脈も活用して円滑に行える場面もあったと考える。ただ根本的なミスとしては、声明文で「祭り」を打ち上げておきながら、勧誘の際の資料では「トーク番組」のイメージで、というようなダウンサイズした企画の立て方をした部分だろう。祭りで具体的に何をするのか、そしてそれを行うための十分な人員の二点が運営側に欠けていたと考える。

 

・ツイッタラー以外への呼びかけを盛んにするべきだった。クラスLINEへのメッセージも回したが、全学部には回らなかった。スケジュール立ても含めて、もっと多くの学生を巻き込めるようにしたかった。

 

告知企画

・#リレーで振り返る2020年京大生活 のハッシュタグ企画は効果的だった。こちらから確認できるだけで50件以上のツイートが見られ、TL占有率も高かったのではないかと考える。

 

当日運営

ハッシュタグの統一の不徹底による混乱

・参加者の管理

 

 

企画目的の達成

今回の企画を行うにあたって以下3つの目的を設定していた。

 

(A)上回生と1回生との議論を記録し公開することで、これまで大学で行われてきた議論や語り、前提の認識を継承する

(B) 京大界隈に所属するツイッタラーに考えを述べさせることで、京大界隈に議論を呼び言論空間としても機能させる

(C) 番組を通して1回生の語りや考えを提示することで、多くの1回生に同じ1回生という同胞の存在を想像させ1回生全体に連帯感を持たせる

 

上記すべて客観的な達成基準を持つものではないが、こうした目的を設定した背景も含めて企画者として主観的ではあるが振り返りを行いたい。

(A)を設定した理由としては、1回生をつなげる会自体の理念と企画者自身の問題意識の二つがある。1回生をつなげる会の活動目的は、初回の企画の声明文でも示したように

、コロナ禍の中で分断されている大学1回生達に他者と「つながる」機会を提供することである。前回の鴨川座談会で我々が行ってきた「1回生の声」の記録と発信が今回の企画における議論の記録と公開という行為に連続している。前回は「自分たちの体験を歴史化すること」として行っていたが、今回はそれを発展させて1回生の議論を引き出して発信することで1回生を「かわいそうだと同情される客体」ではなく「自ら考え議論し意見を表明していい主体」とする。というような趣旨であった。

 

 (B)を設定した理由は、以下のツイートに集約されるものである。

 f:id:ikkaisei_connect:20210116115514p:plain

 

 

(C)を設定した理由は、(A)のとも関連しつつ企画者の興味が関係するこれを行うためにメディアを活用したいという発想は、メディア論に興味を持っている企画者の影響が強い。メディアとしての番組で、京大界隈という空間。集団にどれほどの議論を起こせるのか、という試みであった。実際当日のTLにはツイッタラーの意見が見られ、返信機能を用いた議論にまでは発展しなかったが、Twitter上への問題提起としては十分な機能を果たしたと考える。

 

企画者として・今後について

 個人的にはこの人数とこの準備期間で、多くの人が協力してくれて企画はそこそこの成功だったと思う。声明文で打ち出したようなことを十全に達成できたわけではないけれど、企画者としては満足はしている。現状に満足するわけではないので、つなげる会で何らかの企画を行っていきたいとは思う。「語り」のパートの中で特に印象的だったのは、「学内か、学外か」という話だ。COGくんなどはこれまで京大で築いてきたノウハウの継承なども考えていて学内で行動していくことの意義を訴えていた。一方吉田さんは、学生同士のたこつぼ化に問題意識があるようで外に訴えかけることを説いていた。議論の過程でこの二人は終始対立していたわけではなくて、やはりある程度外に出ていくためには中で議論したりしていかなきゃいけないわけで、学内活動してる人も外に訴えかける必要性は感じている、と思う。ではつなげる会で扱っている「1回の抱える不安」といったものもそのように学内で取りまとめ議論によって鍛え、そして外に発信していくべきだと思う。

 僕たちの1回生という期間もそろそろ終わりを迎える。大学や環境を次の1回生に引き継ぐべき時が来る。僕らがやり残したことは彼らにも引き継がれる。声を上げて変えなきゃいけなかったところも、彼らが声を上げなきゃいけなくなる。コロナがこれからも続くなら、来年の1回生も同じように辛い思いをするはずだ。それに寄り添い、支えられるのは先輩としての元・1回生の僕たちだと思う。

【文字起こし】新年京大イブ祭 #これからの京都大学

#これからの京都大学

 

吉田よし子「どうなるかってなるようにしかならない。大学がどうなるかって、もう国の財政の問題じゃない?大学っていう枠に関しては、学部生がいろいろ言っても仕方ないんじゃないのかな。ただ京都大学の中でなら、サークルのことだったりいろいろ教授に言ってみなさい。教授たちは、あなたたちがサークルもできてない、友達もできてない、キャンパスに来れてない、そういう人がいるってことが、あいつら全然想像ついてないのよ。そういう状況を授業の時でも何でもいいから、ドンドンドンドン言いなさい。そうしたらかわいそうだってなるから。仮にも博士まで行って、やろうと思えばいくらでも高給取りになれたのに、国立大学で公務員程度のやっすい給料で働いて、それでも自分の好きなことやってるくらい純粋な人たちなんだから、半分くらいは話聞いてくれるわよ。残りの半分は共感力のない人たちだから、相手しちゃダメ。聞き流しとけばいいのよ。」

 

アストナージさん「先生っていうのは大学との大事な接点ですよね」

 

吉田よし子「大人に伝えなきゃダメ。いくら未成年が語ったところで、上の先生には伝えなければなんにも変わらないのよ。辛いってことを言わなきゃダメ。大学だけでダメなら、世の中にね、新聞に投書するとこか。そういうとこで辛い辛いって言っていかなきゃダメ。非正規の人とか、学校の先生とかつらい状況にあるけど、そういう人たちが声上げたら注目集まったじゃない。ちゃんと声上げたら、世間は注目してくれるじゃない。なんなら議員さんとか、インターンでも何でも、「大学がひどい」って言ってみるとか。やっぱり政治の力って大きいわよ。あるいは大学には期待せず、外で楽しめる….なにかしらね。」

 

 

かといつ「吉田さんが言っているような、大人に頼らなきゃいけないっていうのは一定理があると思うんですけども。でも思ったより学生って弱くないんじゃないかなというのが僕の考えで。戦後の大学の中で、学生っていうのは重要な役割を担ってきた。実際大学運営に口出して、交渉とかいろいろ決めてきたっていうのはそうだし。大学からしたら、サークル活動にお金を出すなんてのはあり得ない話で、いわゆる運営の役員会のメリットには一切ならない。でもそういったことに対して、学生が「価値があるんだ」って訴えることでお金を出させるみたいなことはやってきただろうし。そういったコミュニティ空間を管理してを学生が一定持っていた。大学からしたら、学生に空間を貸すなんでメリットがないんだけれども、学生の学問の観点からすると意味がある。学生が主体になって訴えてきたっていうのは意味あるのかな。国会からこれらのことが変わってきたっていうのは、必ずしもないのかなと。学生の中でどういうことをするのかっていうのを決めて展望を開くっていうのは意義があるし、そういう現状の変え方もあるのかなと思います。」

 

眞希波「歴史や政治に詳しくないのであれなんですけど。大学が、今おかしな挙動をしているなあと、思います。もしかしたら大学だけがおかしいんじゃなくて、文科省だとか国とか、京大近辺の人々とか、京都市もそうですし、世間のそういった圧力。ピリピリとした世の中ですし、そういったものから少しずつ圧力を受けながら疲弊していくんじゃないのかと、学生もそこで板挟みになって疲弊していくんじゃいのかなというのは。疲弊して追い詰められていくとドンドンおかしな挙動をしていくので、学生側の方からもうまくやっていかなきゃいけないのかなと。」

 

 

つかもと「眞希波が言ったように、おかしいのはおそらく大学だけではなくって、最近だと顕著な例が日本学術会議問題だったんですけど。僕たち大学生の立場からすると、あれってどうしても反対すべきものじゃないですか。でもあれに賛成する人が多数いるってのを受け入れなきゃいけなくて。私たちは大学の良さを分かってるつもりではあるけれど、私たちの思っている以上に大学ってものは嫌われている。その中で大学の良さってう言うものを外部に発信していく、当局とか文科省とか文科省はこれでも大学を守ってくれている側かもしれなくて。というように、外部に外部に目を向けていかないと僕たちの欲しいものは勝ち取れないのかもしれないなと。」

【文字起こし】新年京大イブ祭 #大学・大学生とは

発言を要約・整理してまとめてあります。

当該ツイートが複数にわたる場合は、その冒頭だけを埋め込んであります。

オーディエンスの方々にも同じハッシュタグで自由に意見を呟いてもらっているので、あわせてTwitterの「#大学・大学生とは」も覗いてみてください。

 

#大学・大学生とは

 

COG「大学は開かれた空間、公共スペースだと思ってます。大学は役員会や教員だけのものじゃない。思想信条立場に左右されずに、教育研究活動だけじゃなく、他のこともできるんじゃないか。大学生はその中の主役だと思います。教員である大人の力を借りなくても、自分たちの持っている主体的な考えをもとにいろいろとできるんじゃないかと強く思っています。」

 

かといつ「僕の大学イメージみたいなもの、universityの語源っていうのがuniversitas、一つの目的の共同体っていう意味なんですけど。学問っていう一つの目的に向かってコミュニティを築いていく場所なんじゃないかなと。大学って教育研究活動だけのものでは本来はなくて、今の役員会っていうのは教育研究活動っていうのを押して、ことあれば「教育研究活動の妨害」っていうのを言うんですけど、教授も生徒も一つの場所にあったし議論やコミュニティを形成していく場所だったんじゃないかな。授業というのは教育といわれるんですけど、大学・教授からの一つの提起でしかないんじゃないのかなと。これに対してどのように反応をしていくのか、価値がないとするのか、議論に発展するのか。議論とかをしてくコミュニティに大学の本質があるんじゃないのかな、本とか間接的なつながりもそうですけど、こうしたものを基盤に議論してくのが大学生じゃないのかなと思います。」

 

つかもと「大学とは何か、というのは定まっていないと思っていて。例えば日本の国公立大学は、帝国大学として、日本の殖産興業の中で出来てきたものである。だからこそ、外国の大学にはない、国家が強い力を盛っていたり。私立大学は、もともと大学としての力を持っていたものだし。だからこそ、どっちかというと、大学とは何かっていうのは議論しなければいけない時が来ていて、みんなの中でそれぞれの「大学とは」があって、それらの統一が今までできないまま戦後の大学は進んできたんじゃないかっていうのが大まかな意見ですね。」

 

アストナージさん「大学の形ってのを議論してく行く必要があるっていうのは興味深い意見ですね」

 

眞希波「とある授業で大学とはっていう話になったときに、「研究ですよね~。」と言っていた。研究は研究所でやればいいわけで。教育っていうのは、高校でも予備校でも私塾でも開いてやればよくて。大学はそういったものと分けられる点として、大学生という存在が挙げられると思っていまして。大学のメインは大学生。ピンポイントに言うのであれば、教授や生徒どうしでの大学生の関係・交流といったものが大学の本質なんじゃないかなと思います。」

 

吉田よし子「こんな議論してて楽しいのかしら?あなたたちネットで繋がっているとはいっても、友達同士なんでしょ?京都に一緒にご飯食べに行けるっていう友達一人もいない?そういう人たちとご飯でも行きなさいよ、こんな議論しててもしょうがない。普通のサークルはこういう議論にはならない、大学はどう、大学生はどうって話にはならない。こんな議論したって仕方ない、楽しいと思うことをしたらいい。筋トレするなりのほうが有益」

 

COG「対面で友達と会った時も、こういう話題は出るほうです。それは「今年だから」かなっていうのは強く思います。今まで見えてこなかった部分で、大学の杜撰さだったり、文科省の杜撰さっていうのが見えてきたからこういう話をするわけで、コロナの前から共通テストの話だったり、コロナ後は大学生を悪者にするような議員の人だったり、対面授業を増やそうとしないとか、サークルの対面新歓がこのままいったらなさそうですよね、このままでいいだろうと思っている役員の皆さんとか見てると、おかしいんじゃないの。っていうことでこういう話になってるんじゃないのかなと。」

 

吉田よし子「あんたたちのそういうのはすごくわかるのよ。でも、こうしたことを議論してても仕方ないんじゃないかしら。オンラインでも授業あるんでしょ、先生に「こんなに辛いんです」って訴えるとか、あとは新聞に投書するとか訴えていかなきゃダメ。」

 

COG「学生意見箱とかあるじゃないですか..」

 

吉田よし子「あんなのダメダメ、あんなガス抜きなんて。」

 

COG「あれダメですよね笑」

 

吉田よし子「1回生だけでしゃべっても何も生まれないと思うのよ、たこつぼ化しちゃって。それなら外に出てって..」

 

眞希波「自分ひとりで勝手に行動するのもいいんですけど、それが独りよがりだったりもします。今回の企画も、こうした確認も含めてそれを目的にしているんじゃないのかなと思いましたけど」

 

アストナージさん「そうですね。今回の企画は、1回生同士の意見共有を目的にしてます。1回生同士の議論促進といった方向に向くものもありますね。僕個人としては、この企画を大学内だけで留めておきたいとは思っていません。外の世界に発信していければなと思ってます。ただ、学生同士で議論できる場も大事だと思います。議論や対話を通じて、独りよがりから脱することができますし、ここで鍛えられたものを外に向けて発信できればいいのかなと思います。」

 

alpaca「ご飯に行ける友達の話が出たと思うんですけど、自分の場合もご飯に行こうって誘ったら行ける友達はいるんですけど、どうしても実家暮らしなのでご飯に行こうって誘うっていってもすぐ誘える感じではない、授業があって上洛できるから、そのときに行く。みたいな。友達と気軽に対面でしゃべれるかっていうと、できない人もいるにはいると思いますし。それこそ対面の授業が取れてなくて、キャンパスに全然いけてないっていう人もいるんじゃないかなって。そういうのがずっと…」

 

吉田よし子「その気持ちはわかるわ。」

 

alpaca「そうしたところで見える部分は違ってくると思うんで。僕も何とも言えないんですけど。」

 

吉田よし子「私も実家だから言っておくけど、実家勢はずっと寂しいのよ。実家暮らしはどうしてもずっと寂しいのよ」

 

alpaca「しんどい部分が結構あります。自分はバイトとかで気を紛らわせたりできますけど、そうでない人もいるわけで。あと、こうした議論をしたくてしてるのかみたいな話ありましたけど、今回の議論はやむにやまれずという話があると思っていて、こういう考えがあるよね、とか大学に関してこういう風に考えているよねーっていうのは、大学の文化や雰囲気の受け継ぎ、そのために接点を増やすべきだ。こうした話を共有するためにやっているのかなと。今回の企画をきっかけにできればいいのかなとおもって、参加させていただいています。」

【文字起こし】新年京大イブ祭 #上回生・1回生に期待するもの

発言を要約・整理してまとめてあります。

当該ツイートが複数にわたる場合は、その冒頭だけを埋め込んであります。

オーディエンスの方々にも同じハッシュタグで自由に意見を呟いてもらっているので、あわせてTwitterの「#上回生・1回生に期待するもの」も覗いてみてください。

 

#上回生・1回生に期待するもの

 

 

眞希波「特に求めるものはないですね笑。求めたところでどうにもないですし、言ったところで別に変ることもないと思うので。他人を変えるのは難しい。強いて言うのなら、議論のガイドラインでも言えることですけど、上回・1回にかかわらず自分の基盤を整えてから発言しましょうねという話ですね、万人に通ずるものですけど。」

 

 

COG「まず上回生に対しては、1回生だけで物事を起こしたりしてるじゃないですか、そういうときに上回生に上から物事を言われて「君はわからないから」じゃなくて、同じ目線から意図とかを汲み取って一緒にやっていってほしいとは思う。そうやって自由とカオスの京大を作っていきたいなと」

 

かといつ「京大生全般に期待しているもの、今まで京大で割と受け継がれてきた雰囲気みたいなものがあって、それが自由を支える基盤になっているのかなと思うところがあります。「当局」や「KKK」といった呼び名も、誰かが意識的にやってるものではないけど、どこかで受け継がれている文化。こうした些細な京大生言葉みたいなものも次の世代に残してもらいたいなと。上回生も努力していかなければいけないと思うところではあります。」

 

吉田よし子「サークルや部活には入っておいたほうがいい。上回生はヘタレだからオンライン活動とかいってるけど、ちゃんとやってるところはあるはずだから探して入りなさい。上回生もTwitterにいるはずだから、探して入りなさい。サークルなんて人集めてなんぼなんだから、DMなりで連絡とれば入れてくれる。」

 

アストナージさん「1回生のうちにこういうコミュニティを得てたほうがいいってことですね」

 

吉田「1回生で新しくサークル作りました!みたいなのはたいていうまくいかない。こういうのは自分で何を作ろうとか思うよりかは、あるところにくっついていったほうがいい。1回生が作るっていってもノウハウがないじゃない。結局長くはもたないから、引継ぎとか組織のノウハウがあるところについていくのがいいと思う。」

 

COG「ぼくは熊野寮のコミュニティがあるので、文化の継承という面ではサークルが無いとできていかない。1回生だけのサークルを作ったとして、それはガイドライン的にも(現状では)学外でやることになりますよね。でもそれだとこれまでのサークルや上回生が持ってきた学内での活動のノウハウが無くなっちゃう。学内での活動という面では、やっぱり外に出ていくだけではなく学内での活動もやっていきたい。」

 

アストナージさん「大学の文化を継承していくのであれば、どうしたらいいんでしょうかね。京大生っぽいこと、京大らしさの継承についてかといつさんお話聞きたいですね」

 

かといつ「京大生っぽさってバラバラに何かやってるイメージがあるけど、実はその背景に風潮とかがあって。引き継ぎだったりと、入学したときに見たほかの京大生のバカなことやっているのをを見て、自分でもやっていこうというのはある。接点を増やしていかないといけない。ノウハウっていうのはある、学内活動や交渉はある。こういうのはサークルに限らず、学部とかのつながり、Twitterも含めてやっていくのがいい。こういうイベント(上回生を呼んで「語り」の場を設けた今回のイブ祭のような)を増やしていけるといいと思います。」

 

アストナージさん「こうした場は大切だと僕も考えてます。大学側で用意してくれるものではないですし、自分たちでやるしかないものなので。なにかあればぜひ自分たちで挑戦してみてほしいなと、やればやるだけ可能性が広がるので。」

 

 

【本編はこちら↓↓↓↓↓↓↓↓↓】

https://youtu.be/M7z1e0w2yf8

 

 

声明文 -1回生の1回生による1回生のための「祭り」と「語り」-

声明文

 

我々「1回生をつなげる会」は12月30日(水)夜にネット上で1回生による1回生のための「祭り」と「語り」の場を設けたいと考えている。具体的な形式や内容の告知は後日に回すが、ここではその背景にある考えを述べる。

 

はじめに -奪われた「対話」の機会-

2020年12月、コロナウイルスの第三波が叫ばれ、大学1回生は対面授業や課外活動の機会に恵まれないまま1回生という期間の大半を孤立の中で終えようとしている。ここで訴えたいのは、コロナウイルスが我々から奪った「対話」の機会である。それは出身地、家庭環境、価値観の違う人々と語り合い互いの違いや社会の広さを認識する機会であり、自らの内に秘めた野望を親しい友に打ち明け語らう夜であり、考えや在り方をさらけ出し告白する静けさであり、深い思索の協働や知的創造である。我々1回生はこうした「対話」の喪失によって、「1回生の連帯」と「上回生からの語り」を得られていない。これら二つは今後の我々の大学での学びや経験、ひいては大学全体にとっても大きな損失であると考える。

 

「1回生の連帯」の喪失

 対面授業やサークル活動での交流の機会を失い分断の中を生きる我々1回生は、大学生としての生活も「京大生」としての意識も持たない。互いに協力し、議論し主張するための土台である連帯が失われた以上、大学の中で1回生の存在は空気に等しい。それは、上回や善意の他者もしくは社会によって語られる「可哀そうな大学生」としてしか発言を許されず、記憶とともに風化していく存在である。だが私たちがここで苦しみ、考え、経験したことは私たちのものである。私たちは他者に都合の良い「被害者」として召喚される幽霊ではなく、自ら考え議論し意見を表明していい主体である。

 

「上回生からの語り」の喪失

そして奪われた「対話」の機会は1回生だけではなく京都大学全体にとっても決して無視のできるものではない。我々1回生は、これまでに京都大学の学生が思考し、苦悩し、議論し、対話を重ねて到達した語りを、上回生との交わりの中で継承することができていない。これは世代間での決定的な断絶をもたらし、社会や学問について考えるという大学の機能と学生としての本来の役割を、就職予備校とそこのお客様としての物言わぬ存在に一気に後退させかねない。私たちがこれからも大学で考え・議論し対話を続けていくためには、上回生が共有し展開してきた語りを引き継ぎ、吟味し対話をし続けるという姿勢や在り方から学び取っていく必要がある。

 

語りの場に期待するもの

我々が今回の企画で創り出すのは、1回生による「祭り」と「語り」である。私たちは「祭り」を行うことによって1回生が社会・大学に確かに存在し、モノを感じ、考え、生きているということを主張する。同時に私たちはこのイベントにベネディクト・アンダーソンの出版資本主義論(『定本 想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』白石隆・白石さや訳、書籍工房早山、2007年)で説明されているような、メディアとしての統合機能を期待する。ナショナリズム形成の過程で俗語新聞が離れた地に住み素性や属性さえ異なる人々を互いに想像させて連帯を創り出したように、1回生による1回生のため「祭り」が大きな影響力を持ち、広く拡散しより多くの学生に届くことで、それは自分と同じような「1回生」の存在を意識し・想像するきっかけとなる。京都にいてもいなくとも、我々を結び付けるこの「想像の」繋がりは1回生の連帯の創造に大きな役割を果たすだろう。そして「語り」の場においては、1回生がどのような考えを持っているのか、上回生達がこれまでどのような語りを持ってきたのかを引き出し、拡散・記録することでこれまで京都大学で蓄積されてきた議論や前提を引き継ぎ、考え議論し主張する主体としての学生の第一歩としたい。

 

2020.12.21 1回生をつなげる会

コロナ禍の京大生の記録 ~鴨川デルタ座談会を通じて~

 

  1. はじめに

 2019年末頃に発生した新型コロナウイルス感染症は、現在でも国内外で猛威を振るっている。そのような中で、大学1回生は、課外活動も停止し、友達を作りづらいままオンライン授業を受けるという、いわば「特殊」な経験をすることとなった。そのような大学1回生の姿を記録するべく、また学部を跨いだ交流に少しでも貢献すべく、我々は2020年9月22日の夜に鴨川デルタで座談会を行った。

 

  1. 座談会の概要

 座談会は、できるだけ様々な意見を聴くため、京都大学の各学部から1名以上を集めることを目標とした。主にTwitterを利用して参加者を募った。実際には事情もあり、文学部から2名、法学部・経済学部・教育学部・総合人間学部・理学部・薬学部から各1名の計8名によって行われた。なお、座談会参加者がいなかった学部(工学部・農学部・医学部)は、後日参加者を募り、オンラインで意見を聴いた。

参加者には、

  • 受験期からこれまでの間、どのように過ごしてきたか、何を感じてきたか
  • オンライン授業下での各学部の様子
  • 今、社会情勢や大学に関して、何を感じ、考えているか

の3点を中心としつつも、自由に思いを述べてもらった。

 なお、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、参加者の常時マスク着用、社会的距離の確保をはじめとした感染対策を徹底した上で開催した。

 

  1. 参加者の話

 以下では座談会で参加者に語ってもらった内容を掲載するが、個人情報の保護の観点から、参加者のいずれの話であるかを明記しない。書かれた情報から学部や個人名を詮索するような、不適切な利用は厳に慎んでほしい。

 

  • 1人目の話

 特色入試の合格者で、入試の時期(編注:2019年11月~12月)には全く影響を受けなかった。1月のセンター試験の頃から、雲行きが怪しくなっていると感じていた。出身が遠隔地で、早く合格が決まったこともあり京都の下宿は決めていたが、大学からの発表もあり、京都に来られない状態が続いていた。ずっと実家で授業を受けており、京都に来ることもできない、友達もできないという状態で、悶々と過ごしていた。京大での生活に憧れていて、いろいろな人と関わりたいと思っていただけあって、それができないことにストレスを感じていた。

 学部では4月の時点で有志でオンラインで顔合わせ会が企画され、顔見知りを多く作ることができ、とてもありがたかった。学部内には京都にいる人も遠方の実家にいる人もいたが、京都にいる人達は2人3人という小規模で実際に会っていたそうだが、SNSには上げないようにしていたという。

 京大では面白い人と会って対話をしたり影響を受けたりすることで成長したいと思っていたし、それを楽しみにしていたが、今の生活ではその「京大の良さ」がない。ネット上、SNS上での出会いしかなく不満もあるが、このような状況下では何か自分で生み出していくしかないのではないか、とも思っている。

 

  • 2人目の話

 3月末に引っ越してきて、それからずっと京都にいた。一人で生活するのに慣れておらず、4月には授業が無かったため「授業が無いもの」としてエネルギーを使っていて、そこから授業が入ってくると生活が乱れてしまった。オンラインに適応している人、むしろオンラインの方が良いと言っている人もいる中で、一概に対面授業を増やすべきという意見には懐疑的だった。SNS上では対面の仲とSNSの仲で余り差を感じていないという人もいて、会えないのは寂しいというのはあるが、これはこれで良いのかなと感じていた。皆に対面を強制させるというのも、人付き合いが苦手な人にはちょっと苦痛なのではないか。オンライン授業でもメリットが無いということはないので、対面化を急ぐだけというのも良くない点があるように感じる。

 学部では教授が気を利かせてくださって、毎週顔合わせをしていた。そこから実際に会って遊びに行くという人もいたが、その波に乗り遅れてしまった。そのような点では対面の方が乗り遅れずに済むだろうが、それは致し方ないと思う。

 

  • 3人目の話

 受験期は、そもそもコロナウイルスが日本に入ってくるとは思っていなかった。二次試験の頃は元々インフルエンザの流行する時期ということで、浪人で後がないこともあり、インフルエンザにかかると人生が終わると思って予防していた。かなり気を遣っていたが、潜伏期間があるので、受験の時は「感染しても受験までに症状が出なければいい」という気持ちでいた。3月中は対面新歓も行われていて行きたいと思っていたが、京都入りが間に合わず行けなかった。オンライン授業で課外活動も停止になり、部やサークルに入る機会を逃してしまい、それ以降は授業を受けるだけということでストレスもあった。オンライン授業になったことで授業内容が変更になって、シラバスが全く当てにならない点は困った。

 学部ではオンライン茶話会が前期に一度行われただけだった。一度大規模なエンカ(編注:ここではSNSで繋がった友人と対面で会うこと)が行われて、「みんな来て!」とむやみに人数を増やそうとしているのはこのご時世何をやっているんだ、と非難されていた。今はもう学生も限界だから、それほど非難を受けないと思う。良いのか悪いのかは何とも言えない。しかしオンラインで孤立している人も多く、何かやるというと人が集まりやすくなっている。

 「オンライン授業の方が楽だからオンライン授業のほうがいい」というのは個人的に認められないと思っている。元々大学を受験したときは、ほとんどの大学で対面授業が前提になっていた。そんなにオンライン授業の方がいいならそもそもオンラインで授業をする大学に行けばいいだろう、と思ってしまう。

 10月1日から大学の活動制限レベルが下がるということで、それ自体はいいことだと思うが、大学の対応が遅いと感じる。前期も対面かオンライン化の判断が遅く、後期もなかなか発表されなかった。

 

  • 4人目の話

 受験期終盤から新型ウイルスが…とニュースで言われて、日本にも入ってきたといわれていたが、地方出身ということで自分も周りも危機感はあまりなかった。入試の時は周りを見るとマスクをしている人もしていない人もいたので、これまでの模試と同じように、普段通りやろうということで試験時間中はマスクを外していた。まだ、そういう判断ができるくらいの状況だった。3月末に京都に来たが、来た時点では対面授業を一部やるという発表だったため、対面授業を受けるために引っ越した。その数日後に一ヶ月休講してオンライン授業をしますという発表が出されて、振り回された形になってしまった。

 学部では交流会もあったが、元々一度も話したことがない人たちで、少し話しただけ、しかも実家にいたので会えるのは早くて3ヶ月後だと思うと、これで友達ができるのかなというのは感じていた。ただ、京都にいる人同士がどうだったのかはわからない。対面授業があれば皆京都に来るので、人間関係的には日常が戻るのかな、とは感じていた。

 夏休みは京都にいたが、途中で一度帰省した。その時に高校の友達と会おうとしたら、その友達の親が役所で働いている人で、家族が県外から来て2週間経っていない人と会ったら出勤停止になるということで、会うことができなかった。世間では経済活動が再開されて「GoToキャンペーン」も行われているが、その中で緊急事態宣言の頃と変わらない生活を強いられている人もいるということは伝えておきたい。

 

  • 小休憩

 全体の半分が終わったところで、小休憩を挟んだ。この中でも様々な意見が飛び交った。

  • 大学をオンライン化するという構想自体はコロナ禍以前から存在していた。地理的な教育格差をなくすには画期的な手段だと思う。コロナ禍に際して文部科学省がオンライン授業の規定を緩めたというのは、大学のオンライン化への大きな道になったと思う。オンライン授業を実際にやってみた経験を、今後の判断に役立ててほしい。
  • 京都大学に限らず、大学はアドミッションポリシーなどで前提にした様々な機会を確保する義務がある。オンラインだから仕方ないで片づけるのではなく、何かできることを最大限やってほしい。
  • オンライン授業がいいならオンライン授業の大学に行けばいいというのは過激なのではないか。楽だからという理由は良くないが、オンライン授業をやってみて、案外できたということで続けるなら問題ないと思う。日本のシステムは新しいものに弱いので、対応を進めれば良いものになるだろう。
  • 山極さん(編注:山極壽一氏。前京都大学総長)は人類学者ということもあり、対面のコミュニケーションの重要性について述べられていた。今後の方針は、よく考えなくてはいけない問題だ。課題に苦しめられるというのは良い状態ではない。
  • 報道される観光地の様子を見ると、日常が戻ってきたかのように観光客がいる。そのような中、オンライン授業を強いられている大学生や、先の話にあったような県外の人と会えないというような人がいる。大学生と役所の方や医療従事者を同列に扱うのは良くないかもしれないが、自分がまだ自粛を迫られている中で人々が遊んでいるのを見ると不満が溜まる。
  • Twitterで友人を作ることはできるが、会ったことがない人しかおらず、関心が持てないという人もいる。今すぐ全て対面授業にするのは不可能だが、オンライン授業の弊害には対策する必要がある。

 

  • 5人目の話

 今年は京大入試の数学が難化したこともあり、後期で出願していた北海道大学に合格しようと真剣になっていた。しかし3月の上旬にメールで、後期入試の中止が知らされ、センター試験の成績のみで判定するということで、あとは待つだけになったことに不安を感じた。3月の末に京都に来て、サークルの新歓に行く予定も立てていたが、緊急事態宣言が出されたこともあって全部中止になってしまった。オンラインの新歓にも参加したが、説明会といった感じであまり楽しめなかった。一番不安だったのは履修登録で、一度も授業を受けないまま登録をしないといけなかった。(編注:例年ならば、第1回授業を受講してから履修登録期間になる)右も左も分からないまま登録期限が迫ってくるという状態になっていたが、Twitterを利用して情報を集めたり、学部の先輩がLINEを利用して質問ができる環境を作ってくださったりしたことで、よく分からない部分はありながらもなんとか登録できた。

 学部ではオンラインで顔合わせは行われた。その他にも何度か少人数で対面で会うなどしており、友達ができた。同じ高校の友人も多くいたため、友達に困るということはなかった。しかし、授業では他学部向けの講義を履修したところ、オンラインでは授業後に友達と話し合って理解を深めるということができず、画面に向かって先生が話すのを聞くだけになってしまい、最終的に単位を落としてしまった。

 前期の途中、6月頃に気が滅入ってしまったため一旦実家に帰った。そこでは嫌でも話す人がいる状況で、人と話すことの大切さに気が付いた。

 現在ではマスクをするのが当然になっているが、医学的な対応が道徳的なものになり、マスクをしない人は常識が無い、というような社会になってしまうのが嫌。実際にマスクをせずに大声で話している人を見るとちょっと嫌だなと感じてしまうが、この先一生そのような感覚を持ってしまうのは嫌。

 

  • 6人目の話

 4月に京都に来るというのは決めており、親もそれほど警戒しているというわけではなかったので予定通り京都に来た。オンラインの茶話会はあったが、参加するよう言われた一度だけしか参加しなかった。例えばオンライン飲み会のようなものも、なんとなく慰めをしているだけだと思っていた。逆に、授業では英語の先生が面白い方で、その反応や感想でSNSが盛り上がり、クラスの結束が生まれたように思う。

 学部は元々学年を超えた繋がりが大きい学部だったが、定期試験がレポートになったことで先輩も書き方が分からず、レポートの講評でレポートの書き方を教えられるような状況だった。1ヶ月休講になった影響で専門科目の授業は90分に収まらないものもあり、まだ専門分野に慣れていないという状態では負担が大きかった。

 大学生が非難されるように、誰かを槍玉に挙げる社会が嫌。学生を非難しているのは、学生をただ非難したいだけに思える。またそのような非難の中で、部活動の最後の大会が中止になったり、受験勉強に影響が出ている高校3年生のように、影で苦しんでいる人がいるというのはなかなか伝わらないでいる。誰もが納得する政策は無くても、見殺しにするのではなく、少しでも救済するための方針を考えていく必要があると思う。

 

  • 7人目の話

 受験の頃はそれほど意識した対策は取っていなかった。合格発表がオンラインになっても「まあそんなもんか」という気持ちでいた。新歓や新入生交流会が無くなったのは、元々そういった集まりを億劫に感じていたため、残念ではありながらもどこかで「良かった」と思っていた。授業が始まって、課題が多いのはきついと感じていた。授業がスライドだけだったりすると、やりたかった勉強以外にはやる気が出ないでいた。友達に相談するというのも全くできず、だからといって先生に相談するのもなかなかできなかった。課題が多いというのは1回生で普段の状況が分からないし、履修している授業の違いもあるので何とも言えないが、多いと言っている人も、楽だと言っている人もいた。元々実家暮らしということで、家から出ることはほとんどなくなっていた。高校の頃からあまり友達と遊ぶタイプではなかったため何とかなると思っていたが、全く付き合いが無いことには寂しさを感じた。

自主ゼミ(編注:学生が自主的に集まり、学習内容などに関して活発な議論をするゼミ)にも参加したが、オンライン形式では授業と同じような一方通行の議論になりがちだった。

 Twitterでは大学に行く必要はないとか、オンライン授業の方がいいという意見もある。大学に行けないことを辛いと思う人もいる中で、行かなくていいだろうとか、オンラインだから課題が多いわけじゃないと意見を言ってくる人もいて、辛いと感じていた。2回生以上は辛そうな様子は見られなかったが、既に人間関係ができているためだろうか。これまで何とかなると思って過ごしてきたが、主体的に何かしていかないといけない、与えられたリソースはどんどん使っていかなければいけないのかな、とも思う。

 

  • 8人目の話

 入試までは高校に通うことができていたが、卒業式の後から休校になった。入試の際はアルコールで消毒をしていた。緊急事態宣言が出された時に家族が迎えに来て、「帰るぞ」と言われ、第一波が収まるまで実家にいた。実家は田舎で、人と会うなんてもってのほかという雰囲気だった。実家ではすることがなく、授業も最初は面白かったが、だんだんつまらなく感じられてきた。そこで第一波が収まった時に京都に戻ってきた。

 学部の中ではコミュニティーがあまりなく、学部全体としての交流はなかった。授業はオンラインだったが、先生がキャンパスツアーのようなものを企画してくれたので、対面で話す機会があった。そこで先生と対話をすることで、大学生として授業に出る意義はこういうところにあるのだ、と感じた。キャンパスを使って対話をするということは、オンラインで授業を受けて課題を提出すること以上の価値があるものだと思った。また、京大は伝統的に学生が団結することでピンチに立ち向かってきて、それで「自由の学風」を守ってきたから、オンライン授業によってその団結が次の世代に継承できなくなるのが怖い。

 

  1. 追加調査

 座談会で意見を聴くことができなかった3学部の学生にも、後期授業の開始後にSNSなどを通じて計4人に意見や情報をいただいた。

 

  • 1人目の話

 合格発表がオンラインで行われ、入学式もなくなったためとりあえず引越しの準備を進めていた。4月でも先生によっては予定より早く授業が始まるものもあり、授業予定の把握が大変だった。対面授業や試験がなくなり、課題やレポートが多くなったことで周りの取り組み具合を知ることができなかったために大変な思いをしたこともあった。前期集中講義の期間などに同回生と会うことができたが、その時でも直接会ったことがあるのは10人にも満たない状況だった。後期には学部主催の交流会があり、全員ではないものの同学部の人と顔を合わせることができた。現在ではオンライン授業に慣れ、朝早く起きなくてよいことなどのメリットも見つけ出している。しかし、同学部の人さえもよく知らないというのは欠点に感じる。

 学部ではグループLINEで課題のリマインドをしてくれたり、授業内容をまとめてくれたりしたため授業にとても役に立った。後期授業では、前期のように課題に飲み込まれないか少し心配に思っている。

 

  • 2人目の話

 元々大人数より一人が好きで、「こんな変人でも受け入れてくれそう」と思って京大に入ったくらいだったので、京都に引っ越してすぐに地元に戻ったが、全く苦には思わなかった。実家での生活は今まで通りで新鮮味は無かったものの、嫌になるというものではなかった。ただ、大学の課題が多くてそれをこなすのが大変だった。

そのような中で、周りへの不信感も感じていた。こんな状況の中でなぜ遊びに行くのか、少しくらい誰かと会わなくたって平気だろ、と思っていた。世間の「自粛疲れ」を全く理解できないでいた。

6月末からは京都に戻り一人暮らしを始めた。一人が好きということもあり、一人暮らしは快適だった。大量の課題と受からないバイトには手を焼いていたが、ほぼストレスなく過ごしていた。世間の自粛ムードが弱まってきても人とは会っていなかったが、自分のコロナウイルスへの意識も低下した。夏休みに課題から解放されたので、何度も一人旅に出かけた。状況をなるべくポジティブにとらえ、一人の時間を大切にしようと思っていた。

 学部ではSNSを見る限り、よく人と会って遊びや食事に出かける人と、地元でのんびり過ごす人に分かれているように感じる。

自分は現在の状況を苦には思っていないが、コロナ禍がきっかけで自分の性格を見つめ直すようになった。自粛生活のダメージは無かったが、友達がいなくても平気という自分の異常さに気が付き、人間不信に近い状態であったことがショックだった。また、この状況を経て、自分の都合しか考えない大人への不信感が増した。オンライン授業化には不満はないが、それに伴う授業の質の低下、待遇の酷さには不満しかない。

 大学の意味を皆が考え直すべきだと思う。ひたすら「対面」「活動再開」を訴える学生には、大学生活は1通りではないということを伝えたい。大学には、プライドや世間の目より学生の学びや研究を重視するようになってほしいと思う。世間も批判するのではなく、協力してほしい。

 

  • 3人目の話

 受験終了からはずっと自分のやりたい勉強に取り組んでいた。適度に自炊をしながら気ままに楽しい下宿生活を送っていた。オンライン授業が始まってすぐは直接授業を受けられないことや課題が多いことを不満に感じていたが、慣れてくるにつれて勉強そのものに時間を取りやすい、オンデマンドなら何度でも見返すことができる、調べながら授業をうけられるということで、オンライン授業の方が良いと考えるようになった。

 クラス会のようなものはほとんど無かったが、Twitterなどで呼びかけて集まることはあり、それなりに友達関係を築くことができた。個性的な友達が多く楽しい。

 学ぶ内容がオンラインに適していることもあり、現在では対面授業よりもオンライン授業の方が良いと考えている。教授に直接質問できないというデメリットはあるが、自分で勉強する時間を取れて、自分で色々なことを学べるのはすごく楽しい。

 

  • 4人目の話

 3月末に京都に来てからずっと下宿で過ごしている。前期は対面で会ったのは数人だけだった。4月は何もない期間だったが、その期間で自炊に慣れることができた。サークルのオンライン新歓に参加して入りたいサークルは見つかったが、入るのは対面で見てからにしたいと思っていたら結局今まで引き延ばして来てしまった。自分は一人でいてもやることを見つけられるし、趣味も多い方だが、一人で京都に来た人や、実家から授業を受けている人にはだいぶ厳しい時間だったと思う。

 学部にはTwitterをやっている人が多く、交流ができて楽しい。後期からは隔週で対面授業が行われる科目ができ、ようやく動き始めたように感じる。他学部に比べて牧歌的な雰囲気があり、とても居心地がいいと思っている。

 前期の間はほぼ人に会っていなかったため、人と会うと疲れてしまったり気を遣ってしまったりすることもあるが、今は徐々に皆の本性が分かってきて面白い。Twitterをやっていない人の中にも面白い人はいるはずなので、積極的に交友関係を広げていきたい。

 新入生は、サークルに入らずとも居場所を作れた人が多いという印象を受ける。サークルは対面新歓の後で決めたいという人も多く、3回生からは実験などで忙しくなることもありサークルは1・2回生が主力となるものが多いため、2回生になってからサークルに入ろうとする人が少なくなり、サークル文化の衰退にも繋がってしまうのではないかと危惧している。

 授業については、オンラインの方が楽だと思うなら通信制の大学が向いているのではないかという気持ち。また、楽に単位を取ろうとするより、自分の興味で科目を決めた方が楽しく勉強できると思う。

 

  1. まとめ

 以上が座談会で聞かれた話、および追加調査で聞かれた意見である。座談会の参加者の意見は多種多様なものであったが、終了後に多くの参加者から、このような座談会が企画され、学生が意見を交わしあっているのを見て「なんだ、いつも通りの対話ができているじゃないか」と思われたくない、という声が多く聞かれた。大学生活では授業以外にも多くの学びの機会が存在しており、その中には代替手段も用意できず、休止が続いているものもある。座談会に参加した8名、その後意見を寄せてくれた4名の他にも、様々な意見を持った学生がいることは紛れもない事実である。未来を担う世代が大学でより良い学びが得られるよう、今後の進展を期待するほかない。

第一回企画「#コロナ禍の大学1年生」 声明文

1回生をつなげる会とは

 1回生の有志2名によってつくられた団体である。我々の活動の目的は一つ。それは、コロナ禍の中で分断されている大学1回生達に他者と「つながる」機会を提供することである。コロナ禍に伴う対応、自粛の中で我々大学1回生が他者とつながるための機会は大きく制限されている。そこで我々1回生をつなげる会では分断された1回生同士を企画を行うことで結び付けることを目的にしている。

 

「#コロナ禍の大学1年生」とはどのような企画か

 2020年9月某日に我々は感染対策を行ったうえで鴨川デルタに全学部から1名ずつ1回生を集めて座談会を行う。そこでは「いま何を感じているか」「受験から今までどのように生きてきたか」「学部はどのような様子か」などを各人に語ってもらう。我々はこの会でのそれぞれの言葉を文字に起こし、記事にまとめる予定だ。前述の座談会に加えて、これを発信・拡散することがこの企画の全容である。

 

企画の目的は

1.自分たちの体験を歴史化すること

 現在、社会全体はコロナ禍という大きな困難に直面している。その中で我々一人ひとりには苦しいこともあれば、悔しいこともある。反対に少し嬉しいようなこともあれば、怒りに身を焦がすようなこともあるかもしれない。しかしコロナ禍が終わった後で語られるのは社会としてのコロナ禍の記憶である。「みんな」苦しかった。「みんな」大変だった。など。確かにそれはそうかもしれない。しかし「あなた」はどうなのだろう。あなたがこれまでの日々で味わったこと、憤ったこと、悔しかったこと、はたまた嬉しかったこと。その一つ一つは形にしなければ、あなたの記憶も大衆の一人として社会の歴史という大きな物語に取り込まれてしまう。「みんなで乗り越えた」などの美辞麗句の踊る大きな物語の一部となってしまう。「我々大学1年生が体験したこと」。そのひとつひとつを形として残すことが我々の第一の目的である。

 

 

2.大学生が今感じていることを形にして残し、発信すること

 ただ残すだけでは何も変わらない。#大学生の日常も大事だ のハッシュタグが世間に与えた影響力を見ればわかるように、我々の体験を社会に向けて発信する必要がある。それは我々の大学生の感じていることを世間に示すということであり、我々の苦しみや悩みを広く社会に知ってもらうためである。大学とは社会の一部であり、社会に広く開かれている機関でもある。日本大学広田照幸教授によれば、大学は知識の継承とともに社会の内省の機能を担当しているという。コロナ禍の社会の中でそうした大学の機能は一層求められており、大学生として感じていること・考えていることを記録し・発信することはこの責務と重なるところがあるものと我々は考えた。この目的は「タテカン」とも通ずるものがあると考える。これが我々の第二の目的である。

 

(参考)広田照幸石川健治・橋本伸也・山口二郎 (2016) 『学問の自由と大学の危機』岩波ブックレット p61より

 

3.学部間のつながりを設け、1回生同士の連帯の一助とすること

 学部での必修や学部・クラスラインなどによって学部内での交流にはある程度の基礎は築かれている。しかし、学部を超えた人間関係を構築する場であるサークル活動や対面授業はそれらの「媒介する力」を著しく低下させている。そこで我々は学部同士のつながりを作り出し、学部間交流会の開催を促したい。そのために各学部同士のパスを設ける役割をこの会で担うことを望むものである。これが我々の第三の目的である。

 

 

2020.09. 13    1回生をつなげる会